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2008年3月19日 (水)

子供殺しの顛末

自分の子供殺して、他人の子供殺して、ムキチョーですか。土下座はパフォーマンスですか。思わずそう思ってしまった今日の裁判記録。

2人殺すか3人殺すかが、死刑の「グレーゾン」らしい。されど、殺された側としてはどうだろう。土下座されて「いえいえ、そこまでしてもらったら充分です。」と言う気持ちになるだろうか。逮捕前のあの言動からして、本心で土下座していると思えるだろうか。下げた顔で「ベ~」ってしてるんちゃうやろか?と思うのは私だけ!?

子供の虐待が後を絶たない。

望んでいるのに子供が出来ない家庭もあれば、望まないのに子供が出来る場合もある。溺愛し過ぎてニートになる子供もいれば、まったく愛を受けずに育っても、しっかり大人になる子供もいる。

ニートもある意味、親の虐待である。

子供が疎ましいと思うなら、子供作るな!!夫婦でいるんが面倒なら、結婚すな!!子供にストレスやなんやぶつけるくらいなら・・・何の責任もないのに、子供には。

某コミュニティーの自己紹介欄に「子供は好きだが、自分の子供は持ちたくない」

うむ・・結構!!

それでいいんだ、それで。持ちたくないなら持たなくていい、子供は。しかし、同じ思いの人と結婚すること。でないと絶対幸せにはなれないと思う、子供がね!!

血を分けた子を、どうして殺せるんかなぁ・・・。不思議でならない。

法律ではムキチョーにしかならない。子供2人の命の対価は、模範囚なら20年で出てこれる懲役刑である。子供1人の命は、バカ親の10年分の値打ちしかないのか!?

出てきても鈴香に未来はないだろう。あれだけ名前売ってしまったんだから、出てきても生き地獄だろう。でも、つまらん命でもあれば生きられる。しかし、死んだ子供は生きられない。それこそ死に損ってもんだ。

死刑制度はやはり存続すべきだ。改めてそう思った。

ハムラビ法典はある意味、いいかも(極論)。

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